けものフレンズ2は失敗作だったのか?前作との比較と考察

とあるSNSでけものフレンズ2についての感想を書いたところ、多くのコメントを頂きました。

多くは『あなたはそう思うのですね。私はこう思いました』というご自身の意見の提示だったのですが、中には『違う!おまえは何を見ているんだ!』『情報操作はやめろ』等の攻撃的なコメントもありましたので、文字数制限のないこちらの場で、きちんと私なりの解釈を含めて説明していきたいと思います。

フラットな視線で

製作者側のゴタゴタ等、一体どこから仕入れてくるのだろう?と思うほど詳しい方が居られます。

私は言うほどアニメ業界について詳しい訳ではありませんが、それでもこの作品については『監督が代わったらしい。しかも元の監督は降板することを納得していなかったらしい』と言う程度のことなら知っています。

原作等のもともとのストーリーがあるわけでなし、監督が代わったのなら、同じテイストにはならないのは当たり前。

だったら『同じコンセプトの別物アニメ』として見てみるべきではないのか。

だって降板は決定事項であって、視聴者がいくら騒いだところで今更覆るものでもないのでしょう?

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主人公が違うのなら、テイストも変わる

一期、二期の主人公に共通しているのは

  • 自分自身に関する記憶が欠如している(但し二期はわずかに自宅や景色等の記憶あり)
  • 動物の特性を持っている他の登場人物に比べ、身体能力が著しく低い
  • 動物キャラにはない、知恵と創造力に優れる
  • サーバルキャットの特徴を持ったキャラクターと共に旅をする(二期はさらにカラカルのキャラが加わっての三人旅になる)
  • 旅を通じて記憶を取り戻すのではなく、記憶は戻らないままだけれど新しいこの地で生きていく決意を固めていく

逆に違いとして認識しているのは

  • 一期のかばんちゃん、二期のキュルルとの性格の差
  • 『捜し求めるモノ』が最初から違うので、展開も変わってくる
  • 一期は『冒険』 二期は『探索』

以下、順に考察。

性格の差

かばんちゃんは自分に自信を持てないおどおど系だった。

このタイプは厳しく急きたてたり責めたりすればたちまち萎縮して心を閉ざしてしまい、通常出来ることも出来なくなってしまう。

なので、傍らで『あるものをありのままに全て受け入れ、慰め、励まし、認めて褒めることの出来るサーバル』が適任だった。

かばんちゃんはサーバルによって少しずつ自信を得ることが出来たし、二人のありかたに茶々を入れてくるキャラが他にいなかったこともあって、最終話に差し掛かる頃には一人旅を決意できるまでに成長した。

キュルルは最初の方こそ怖気づいた様子をみせたものの、適応能力はカバンちゃんよりはるかに早かった。

自分がヒトであろうことも最初に判明する。

感情的になることも少なくなく、大声で叫んだり口喧嘩に発展することも。

身体能力は劣るにしても、ある程度自分で意欲的に行動できるため、褒めるだけのサーバルでは物足りない。

そこで気が強いツッコミ兼進行役としてカラカルが導入されたと思われる。

求めるものの違い

かばんちゃんは自分が『ヒト』であることを知り、同族を見つけるために更なる旅に出た。

サーバルは残るように言われたが、結局は彼女に付いて行った。

キュルルが求めたのは同族ではなく自宅、つまり『明るくて温かい、自分の居場所』なのだが、それは『建物としての家』を指すわけではなかった。

『仲間と共にいられる場所』であり、それはヒトの家でなくてよく、仲間も同族でなくてもよかった。

サーバルとカラカルを仲間と認め、自分の居場所はここだと認識したからこそ、『三人でいればどこでも自分の居場所』という結論に達したのだろう。

冒険と探索の違い

一期は本当に何もなかった。

移動手段も徒歩、あるいは鳥のフレンズに抱きかかえられて空を飛ぶ程度。

車を使いたいと思えば、まず車のパーツを集める必要があり、川に橋を掛ける必要があり、高山に登ってバッテリーを充電する必要があった。

せざるをえなかった。

それが一期序盤の見所になった。

二期ではモノレールや車や船があり、通電もしていた。

徒歩も多いが、大きな移動でも困ることはなかった。

ならば、レールにしたがっての移動、道に沿っての移動で済むので、あえて危険を冒して道無き道を開拓する必要などどこにもない。

そのかわりに、残されたパーツを組み合わせて遊具を再現したり、時間つぶしのためのパズルを提供したりと、『ヒトが持つ知恵と工夫』を表現する機会を作ったのだろうが、スケールの違いは否めない。

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キャラクターの扱いが酷い?

一期が築き上げた『みんな仲良し、やさしい世界』『けものはいても のけものはいない』というコンセプトが、二期ではそうではなくなった。

アムールトラのキャラは、ごくまれに錯乱状態で生まれ出てしまう存在として描かれた。

敵、味方の区別なく攻撃を加えるバーサクキャラで、それを治す術は無いという。

誰も彼女を制御できず、放っておけば自分たちの命すら危ないとなれば、取れる手段は多くないのでは?

どこかに閉じ込めるか、眠らせるか、あるいは……。

諸手を挙げて賛成はできないけれど、逆にリアリティを感じたのだけれど。
毒を持って毒を制す。

最後に役目を終えた毒が脅威になるまえに事故が起こっただけでしょう?

トラが沈んだ建物の屋上でライブをやるのが不謹慎と言うけれど、追悼ライブなんて良くある話じゃないの? (もっとも、怖いのがいなくなったぞ、わーい、の可能性の方が高いけれど)

イエイヌについてはヒトと暮らしていたときの記憶があり、いまでもヒトのいなくなった家に独りで住み、帰るかどうかもわからないご主人様を待っている。

が、その孤独感は相当のものだったのだろう。

ヒトであろうキュルルを別のキャラたちに拉致させて無理やりつれて来た。そりゃキュルルにしてみれば戸惑うだろう。

泥だらけ、傷だらけになって守ったのに、御礼も言われず追い返されるイエイヌに『酷い仕打ちだ、あんまりだ』との声が上がった訳だが……これも言ってみれば、キュルルとイエイヌの価値観の違いではないのか。

イエイヌはヒトを慕ってはいるが『リーダーとして自分を従えてくれる存在』を欲しているのであり、双方向の相思相愛とも言える信頼関係が築ける相手でなくてはならなかった。

一方、キュルルが求めているものは『仲間』としての存在だったし、仲間はすでに足りていた。

イエイヌは、キュルルは自分が求めた存在にはなりえないということを悟ったがゆえに身を引くことにしたのだが、やはり寂しかっただろうし短い時間とはいえ、キュルルと遊んだ時間がとてもとても楽しかったに違いない。

だからこそ、ヒトであるキュルルに帰宅を命じてくれるように頼んだのではないか。

未練を抱いても仕方が無い。

けれど思いは断ちがたい。

だからせめて、ヒトに命令されたかった。

『待てといわれたから、待つ』を、大義名分にしたかったのではないだろうか?

助けてもらったのにお礼も言わずに、言われるままに『おうちにおかえり』と口にしたキュルルが冷たいと言われているが、キュルルは巻き込まれた側であり、怪我までして守られたことに正直ドン引きしたのでは?

最後のお願いだからかなえてあげた。

それ以上でもそれ以下でもない。深く感情移入できるほど親しくはなれなかった。

そういうことではないのか?

もしイエイヌが『私も連れて行ってください!』といえば、キュルルたちは戸惑いながらも仲間にしたかもしれない。

逆にキュルルが『一緒においで』といったら、イエイヌは『いつか、かつて自分のリーダーであった存在が帰宅するかもしれない家』に未練を残しながらもついて行っただろう。

ただし、いずれの場合でもイエイヌの望む状態にはならず、キュルルはイエイヌを特別扱いはしない。

お互いに妥協はしなかったのだから、これはこれで完結しているように感じた。

サーバル関係で言えば、かばんちゃんとの記憶をなくしているのが酷いと言うことだけれど……それは作中でこういう文言があったからでは?

セルリアンに食べられたフレンズは、もとのケモノの姿にもどる。そのケモノが再びフレンズになっても、以前の記憶はなくなってしまう。

おそらくサーバルはかばんちゃんについていった先で、彼女を庇ってセルリアンに取り込まれたかどうかしたのだろう。

ケモノに戻ってしまったサーバルを見て、かばんちゃんは同族探しよりもセルリアンの研究をするようになったのでは?

そうでなければ、あれほどまでにヒトの姿を求めていたかばんちゃんらしくないではないか。

一方サーバルはケモノに戻ってカバンちゃんから離れ、どこか遠くの地で再び偶然フレンズの姿に戻れたのだろう。

通常であればすっかり記憶をなくしてしまうところだが、サーバルは『良く思い出せない』というだけで、ヒトと旅をしていたことはなんとなく記憶しているし、ラストにかばんちゃんから呼びかけられて、涙を零している。

これは、『相当の思い入れと絆があったがゆえにほんのわずかな記憶が残った』と考えて良いのではないだろうか。

主人公が変わっているのにサーバルを続投するのだから、これくらいの設定は仕方なかったのでは?

ラストに出てきたキュルルが描いた絵との整合性が取れない、という意見もあるが、このサーバルは『ミライさんがつれていたサーバル』である可能性が高い。

カラカルもイエイヌも、別の固体と見るのが自然ではないか?

そうでなければ、フレンズ全員がパークの記憶をなくしているのは不自然だ。

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それでも残る謎。伏線の回収はなされなかった?

キュルルは何者?

キュルルが一体何者で、なぜあのカプセルで眠っていたのか。

あの施設はなんなのか。

そのあたりの説明は一切なかった。

キュルルの瞳のハイライトがオッドアイだったことで、実は高性能な家事ロボットのようなものではないか、と言う仮説を立てていたのだが……ラッキービーストやタッチパネルが反応するところを見れば、どうやらヒトか、ヒトのフレンズであることは間違いなさそうだ。

『フレンズ』であるなら、オッドアイでも個性のうち……なのだろうか?
結局は、何故あそこにいたのかはわからないままなのだが。

サーバルの光る瞳

動くものは何でも襲い掛かるアムールトラのビーストに立ちはだかったサーバル。

その瞳が、ビーストと同じ光を帯びた(ように見えた)とたん、攻撃をやめて立ち去るビースト。

あれはなんだったんですかね。

私なりの考察。
サーバルは一度セルリアンに取り込まれ、再びフレンズになったと思われる。それが周囲にいるキャラたちとの最大の違いだろう。

アムールトラも同じように、食われては戻り、食われては戻りを何度か繰り返したのではないか。

そしてある一定の精神的な限界値(?)を超えてしまうと、次にフレンズ化したときに精神が耐えられず、ビーストになってしまうのではないだろうか。

ゆえに、一度食われたサーバルの中に、自分と同じ狂気の可能性を見たビーストは攻撃をやめた可能性があるのでは。

理性は無いといわれているが、ビーストにはビーストとしての意識はあるのかもしれない。

どうでしょう。これが私の考察です。

もしよろしければご意見聞かせていただければ幸いです。
あ、いきなり喧嘩腰なのは勘弁してください。怖いです。
いろんな意見を幅広く聞きたいです。

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